アイリーン・ウェルサム 著
渡辺正 訳
テレビで見て 気になっていた内容の本です。
放射能実験は長い間 アメリカで行われていたけれど
ずっと隠されていたのです。
それを 調べた ドキュメントです。
最初は マンハッタン計画から始まります。
戦時下において 核を使う場合の放射能の影響を調べるために
大量のお金をかけて 優秀な科学者たちを集めていった。
広島長崎の被爆者の様子は 勿論調べた。
さらに アメリカ国内で
入院、通院してきた 症状の重い人
末期のがん患者などに プルトニウムやウランを 注射していった。
勿論 患者たちには 何を打ったのかなどの説明は一切なかった。
しかし 時として 誤診で まだ長生きする人にも打ってしまった。
長生きした人達は 長く病気に苦しめられた。
けがなどで入院した人は 今まで元気だったのにと
家族が不思議に思った。
これらの 患者のファイルは 名前ではなく
アルファベットと数字で表されていた。
これらの ファイルは 人目につかないように
隠されていった。
戦争が終了しても ロシアとの にらみ合いで
核兵器の開発はすすめられた。
(ロシアのスパイがいたので すぐに追いつかれてしまった)
そうした中 人体実験は続けられてしまった。
巨額の研究費が当てが割れた医師たちは
人体実験を エスカレートさせていった。
妊婦たちには 飲み物に混ぜて 栄養補給のためのように
伝えて飲ませたりした。
その後 胎児に悪影響が出たし 母体も痛めつけられた。
そして 障碍者や 心身疾患などで 入院している人たちも
実験対象にされていった。
爆弾の実験場も 海上だと 遠いので
国内で 行うようにして 被爆を調べる為に
兵士たちを 各場所に 配置させて 様子をみた。
核実験場の近くは危ないと思われたが
住民を避難させると 悪い噂が立つことがまずいので
避難させなかった。
実際に空気中に飛散している放射能が
肺に入り込んで 内部被ばくを予見できたにも関わらず
軽く見積もって 注意喚起しなかった。
これらの実験などは 対ソ連の為だったので
かなり強引に行う事ができた。
被爆についての危険度は わかっていたが
軍の高官は 兵士など危険にさらしてもかまわないと 考えていた。
そして 閃光失明実験も 行われた。兵士だけではなく
兎も使われた。閃光で網膜が焼けた兵士や兎がいた。
兵器製造の現場でも事故が起こり 被曝し 35時間で亡くなった。
その遺体を 科学者たちが こぞって持っていった。
10回以上行った 大気中核実験では
毎回人体実験が行われていた。
放射線投射実験では囚人をという意見も出たが
戦後ナチの行った事を 裁いていたので
同じような事をやるのは いけないという事になり
ボランティアを募る方法を模索していた。
研究者にとっては 広島・長崎は20万人以上の実験だったと語ってる。
最終的には健常人ではなく
ガン患者を実験に使うという事になった。
ガンを改善するために放射線を当てるということで
多くに人が放射線を浴びせさせられた。
刑務所では 一応希望を聞いた。
中性子を当てて 睾丸がどうなるか調べた。
囚人はこの実験でお金ももらえるし 喜んでいたものの
のちに苦しめられることになった。
他にも 食物連鎖を調べる為に
草、牛、ミルク、人という 流れの実験も行った。
そして 過去の実験について
当時の医師などに問い合わすと 記憶にないとか
今更掘り起こしてどうするのだという ような 回答で まともに答えてくれなかった。
多くの軍人たちが 放射能人体実験について声をあげていった。
1993年 ヘイゼル・オリアリーが長官となった。
彼女は今までの政府の隠し事を 暴露していった。
その中にこの 人体実験もあった。
世論も興味を示しはじめていった。
クリントン大統領がこの件について文書を公開せよという事になり
調査委員会もできた。
多くの人たちが証言をしたが
証言した人たちへの脅迫などもあったりした。
残念ながら 時間がなくなり 委員会がまとめられずに終わってしまった。
多くの人が 謝罪と補償から外れてしまった。
95年に やっと クリントン大統領が謝罪をした。
しかし もうこの時は当事者が 両方とも少なくなっていて
被害者の名前など 細かい事がわからず。
研究者たちは 反省などなかった。
むしろ 当時は必要だったと思い続けていた。
この人体実験の時
国などが 安全だと言っていたし
被験者に対しては 問題ないとか 治療に役立つとか 嘘を言ったりしていた。
いつの時代も 国が 「安全」という事は
あやしむのが よさそうに思えました。
日本の原発について 安全だと 主張しているけど
本当のデータなどについては 未公開の部分が多い。
だから あやしむのが いいのでしょう。
ヘビーな内容でしたが
こういう事は どこの国でもありうると 思えた本でした。
粘り強く調べてくれた 著者に感謝です。
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