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2020年3月31日火曜日

兵士たちの戦争 6

NHK「戦争証言」プロジェクト 著

どの本を読んでも 兵士の方々が 大変な思いをしていたことが
書かれているので 心が痛みます。
いつか映像で見てみたいけど 文章読むだけでも
つらいのに表情を見ながらだと 本当につらくなるでしょうね。

人間爆弾 桜花
桜花で430人も戦死した。
特攻に志願をしたけれど 実際には 断りたい気持ちもあったけど
断れない雰囲気だった。
エンジンを持たない桜花は グライダーのようなもので
大型の飛行機に目的地付近まで持って行ってもらって最後に切り離され
ロケット噴射で突入。しかし ひとたび出てしまうと 状況が悪くなっても戻る事ができない。これはおかしいと 思って声をあげても 改良されることがなかった。
タイヤがないので 着陸ができない飛行機だった。
そしてこの桜花を運ぶ飛行機も大変だった。狙われたら最後。
沢山の爆薬を積んだ 桜花もろとも。。。
初回の出動の時は160人を超える搭乗員の命が失われた。
特攻の前に お寺に行ってお坊さんと話をして心を落ち着けた。
出発の時はもう何も考えられない。
行く方もつらいだろうけど 見送る(連れて行った飛行機の乗組員)方も 桜花を切り離す時はつらかった。
桜花のトラブルなどで 特攻行かずに生き残った人はすまないと思いながら 生きてきた。

ブーゲンビル島
ニューギニアの東の島で7万人のうち4万人が犠牲となった。
最前線に送り込まれ 援軍も補給もない中 二年も戦い続けて 全滅の危機にさらされたのでいったん後方に下がるものの 軍の上層部は 敢闘精神を欠くものと非難を浴びせた。再び最前線に送り込まれて 終戦まで戦い 9割の命が失われた。
初めて上陸したらジャングルで長い銃しか持たず戦いにくかった。
道を作れと言われて木を切ったりして作っても スコールが来てまたやり直しとなった。
こちらは10人も死んでるのに相手は一人しか死んでいなかった。
アメリカ軍のわずか六分の一の兵力だった。
一発撃つと100発帰ってくる。兵器が違う。
アメリカ軍が ブルドーザーなどで滑走路を作ってる姿をみたらかなわんと思った。
敵は飛行機もなんでもあるけど こちらは何もない。勝てないと思った。
衰弱した人は自決した。
下がってはいけないはずが 連隊長が撤退と言った。(武器の補充をして立てなさないとだめと判断した)
上は文句を言ったが 連隊長は 机上論をいうなと怒っていた。
兵隊などはこのままいたら全滅を感じて、連隊長のここで退いてまた攻撃に行けばいいと思ってることに同意していた。が 連隊長はその後任を解かれて日本へ。
そして 直ちに前線にと命じられたが 上層部の意見の対立で延期された。
アメリカ軍が準備整う前にというのに対し補給をして準備して総攻撃をというのでもめ、四か月後に総攻撃命がでたが アメリカ軍は兵力を三倍にしていた、
現地の様子がわからない上層にとって 自分たちは将棋の駒のようだと。
一か月の戦闘で半数もの兵士がなくなり 玉砕を命じられた。
しかし 歩兵団長が犬死するより撤退してゲリラ戦にしようと言った。
持久戦は飢えとの闘いになる。
ワニを撮ろうと行って鉄砲が発射できず ワニに食べられた人もいた。
連合軍が お昼食べませんかと 投降を呼びかけたりした。
野戦病院は名ばかりで みんな倒れているだけ。
蛆虫に傷口を食べてもらって治す。
斬り込みで行ったけど野ブタが出てきたので捕まえて食べた。その後爆弾を仕掛けたけど敵に囲まれてしまった。がなぜか退いたので 助かった。
戦争に負けたとわかった時は生きて帰れると思った。負けて悔しいというよりも安堵だった。

華北・ゲリラ討伐戦
日中戦争の最中占領した中国の地域の治安を維持するために投入された。
ゲリラは住民との区別がつかず 苦戦となった。
そして 毒ガス兵器「あか筒」を使用することになる。これは激しい吐き気を引き起こし、場合によっては死に至る事もある。
日中戦争当初は連勝だったが占領地が拡大するにしたがって占領地の支配が難しくなっていった。ので昭和13年から島根県松江市の歩兵隊を導入した。
最初は日本軍に従っていた農民たちも ゲリラが潜入して宣伝活動を行うにしたがって ゲリラに協力していくようになる。
住民の印象は良かったけど裏で何を考えているのやら。
大部隊で行くと逃げるので 小隊を残していると そこにゲリラが襲撃するのでかなりてこずった。少人数の警備部隊は 標的になった。
壕を住民に作らせた。その時給金は払わなかった。
日本軍が来るとわかると人民は食べ物など持って逃げてしまうので 食料があまり多く取れなかったりした。
村に入るとゲリラが住めないように 家など壊した。
スパイらしき人を見せしめに殺して首を置いて置く。日本軍が怖いと伝えるためだったが 暴力と恐怖で支配するのは 反発を招いただけだった。
ゲリラの捕虜などは殺した。
村の中心部に向かって一斉に突入したが人がいなかった。壕を掘っていて逃げたようだ。そして掃討作戦に 「あか筒」が使われた。
本来毒ガス兵器はジュネーブ議定書で使用を禁じていたが日本は批准しておらず 兵隊には護身用として持たされていた。
しかし 村の各地で使われて 出てきた人を捕まえた。まさかこれが死に至るガスとは考えていなかった。
その後日本軍が敗北を重ね始めたので華北のの治安維持を放棄して南方へ行かされた。
その時アメリが軍から武器などの援助を受けた中国軍からの猛攻撃を受けて壊滅状態になった。
兵器が壊れ補給も食料もなかった。夏に玉砕を覚悟したが 終戦で生き残った。

沖縄 終わりなき持久戦
この戦いで日本軍9割死亡、巻き込まれて死亡した住民9万4000人。
本土防衛の為に北海道の兵士が来た。はじめは 植物など初めて見るものが多く景色もきれいでびっくりしつつも 楽しんで住民とは お互いに色々違うねなどと話しをした。
1万5000人が招集され 1万800人が亡くなった。
戦闘開始の時 海には1200~1300は来ていたと思う。それを見て覚悟を決めた。
空は真っ黒になるくらいの戦闘機、そして焼夷弾がどんどん降ってきたが 日本の飛行機は全く見なかった。だから どうせ死ぬなら一気にと思った。
崖のくぼ地に潜んでいた48人は 最後には2人しか 残らなかった。
夜は斬り込みに行ったが 接近するのが大変だった。その際 沖縄出身の兵士は地理に詳しいというので何度も行かされた。
負傷兵でも生きる見込みがないと 表に捨てられた。
撤退の時は動けるものだけ連れて行ったが 動けないものは 自決をすすめ、できないものは殺した。
壕には兵隊だけ入れた。(前にも書かれてあったが 住民がいた場合は追い出した)
沖縄の方言をしゃべってるのは スパイとみなした。
沖縄に兵隊が来なきゃ 住民が巻き添えをくわなかったのではと 思った、

南太平洋 軍旗海没
南方に移動中 輸送船が沈没して軍旗が失われた。そしてニューギニアへ送られて 戦局が悪化し 現地解散を命じられて ばらばらに激戦地へ送り込まれた。
3000人いた兵士のうち生還できたのは わずか100人余りだった。
最初は中国での行軍。そしてベトナムそして南太平洋へ。戦局の関係で行き先が変わり 25日も航海していたので 衛生状態がわるいので デング熱が流行っていた。
ラバウルへ向かうと 潜水艦の魚雷が当たった。
少尉は軍旗を持って海に飛び込んだ。
銃など菊の御紋がついてるので持って泳げと言われたが 泳げないので捨てた。
大佐などはこの時失われた軍旗を気にして 自殺をこころみた。
軍旗をなくしたと聞いた時自分の連隊は決死隊になってもう帰れないと思った。
そして ニューギニアへ。上陸も困難だった。船が沈められたので1キロくらい泳がされた。途中で沈んだ仲間もいる。
そして解散させられたので 色々な部隊に配属されるけど 一番危険な仕事ばかりだった。

トラック諸島
日本軍の拠点が置かれたトラック諸島にアメリカ軍550機が飛んで来て日本軍は壊滅状態となる。
大きな被害は 兵士や物資を運んでいた輸送船だった。この時民間人2000人以上亡くなった。空襲直前連合艦隊の主力は密かに離れていた。
トラック島には商店街もあって賑わっていた。
暑くてもスコールがあって良かった。
戦局が悪化してきて 連合艦隊の威信にかけるので 挽回を狙っていた。
兵士たちは飛行機や艦隊もいるので安心していた。
が、荷物を運んでいた 輸送船は護衛艦がついたけど 荷をあげたら帰りはつかなかった。
集中攻撃の時兵士も含めてみんな逃げ惑った。
おぼれかけた時 人にズボンをしがみつかまれた。自分の命が危なくなってズボンのベルトを外してズボンを脱いだ。
漂流中は油にまみれた。 サメに食べられた人もいた。
最後内地への引き上げ船(女性や子供を中心に500人以上の民間人)も撃沈させられた。
生き残ったが 島で飢えに苦しめられた。

陸軍軍医の戦場
ニューギニアでは亀とか捕ったら軍医さんに持ってきた。軍医さんが元気だと我々も助かるからと ある意味において優遇されていた。
しかし亡くなっても きちんと弔う事ができなかった。後々まで悔やまれる。
インパールでは 軍医がいると命は助けてもらえると 心が安定するので士気が高まった。
野戦病院は患者がどんとん溜まってしまって治療もできず さらに患者がたまり野戦病院が機能不全となった。
怪我している兵士を後ろに送るには 4人(本当は8人)必要だけど 前線からそれだけの人数を割くことができないので 自分で 後方へ行けと言わざるを得ない状況だった。
ニューギニアでは 補給が全くなく なすすべもなかったので 話しを聞いてあげるだけだったが 兵士たちの遺言のような話を聞いてあげると 安らかに眠っていった。
軍医としては生き残らせたいけど 軍の上層部から 戦闘に参加させる。だから前線に行く前に死ぬ人も多かった。
戦線を広げたので 軍医が足りなくなった。
卒業後経験のないままにビルマに送られた。何もできなかったけど現地にいた衛生兵が教えてくれた。
中国では実施練習のため 捕虜を練習台にした。
沖縄では重症者を連れて移動していたが 上から働けないものは殺せと命令が下された。
捕虜にはなっていけないという事だから。
戦場で救う事のできなかった命の重さを、今も背負い続ける元軍医たち。一度は失いかけた医師としての誇りを、取り戻そうとする長い道のりである。

読めば読むだけ
心が 苦しくなります。
でも 多くの人にも 読んでもらいたい本です。


2020年3月30日月曜日

10デイズ 愛おしき日々 (2016) Pushing Dead

出演 ジェームズ・ロディ ロビン・ワイガード ダニー・グローヴァー
   カンディ・アレクサンダー トム・ライリー

エイズに感染してしまって 22年。
毎日欠かさず 薬を飲む生活をしていた主人公。
ある日 お母さんからの 誕生日プレゼントの100ドルを貯金してしまう。

すると 薬を入手できなくなってしまった。
(アメリカでは 貧困者には保険の補助があった)
どうしようと 悩む。
その時に 友人夫婦の喧嘩など 色々ハプニングが 起こる。

最終的には丸く収まるのだけど
エイズという 病気といわれると
いつまでとは 限定されないけど 死刑宣告を受けているようになる。
それが 22年となると しんどかったのではと 思いました。

友情や 生きがいなどを 考えさせられる
映画でしたね。

2020年3月29日日曜日

静岡井宮 (静岡県)

重要文化財・神部神社浅間神社大拝殿、桜です。

桜の季節に桜の印をありがとうございます。
しかも 私の大好きな ミッフィーちゃんの切手でした~~
いつもありがとうございます。

静岡 千頭 せんず (静岡県)

茶の花と茶摘み風景と紅葉と南アルプスの遠望です。
せんずと いつも読めない私です。。
大好きなミッフィー切手で ありがとうございます。

2020年3月28日土曜日

カシゴギ

趙昌仁 著
金淳鎬 訳

韓国の小説でした。
最初は主人公の名前が しっくりきませんでしたけど
読み進めていくと 父親の愛情の凄さが 凄かったです。

自分は子供がいないので
ここまで 自己犠牲できるものかと 思いましたが
凄いです。

てっきり 違う展開かと思っていたんですが・・・・
まさかの 悲しいおしまいでした。

愛しているから さよならを・・・・
昔 こんなような  歌詞を聞いたような気がしますが
まさしく そんな終わりで・・・・・

ハンカチ必須の お話でした。

2020年3月27日金曜日

兵士たちの戦争 4

NHK「戦争証言」プロジェクト 著

段々 戦争後半の内容になっているのでしょうか?
とても悲惨な内容ばかりになってきました。

中国大陸横断 反転作戦
福島県の歩兵暖が戦局が危ぶまれてきたので 
福島の白虎隊のように 強い歩兵である65連隊を行かせた。
強い部隊なので 厳しい所ばかり行かされた。
行く先に宿営地がないので 夏冬者などを含めて 装備は60kgほど。それを担いで標高1000m級の山々の道なき道を進軍していった。
途中馬が落ちてしまったりしても助けられなかった。細い道なので一列になってると 中国軍から撃たれてしまう。
進めと命令があれば 断れず 撃たれるとわかっていても進むしかなかった。
途中で 一か月ほど足止めをくらった。
インパールの再現になるというけど大佐が進めというので そのまま前進させられた。
みんな足が豆だらけだけど ついていくしかない。フラフラで意識朦朧だけどついていった。食料などは 底をついてしまい 中国人の人たちから略奪した。
1300KMも歩いたけど 計画が変更になり、戻る事になった。
他の部隊を掩護するために しんがりになった。
すぐ後ろから 中国軍が攻めてきていたのでとても怖かった。
上空にはアメリカの戦闘機。アメリカの武器を沢山得た中国軍はどんどん攻めてきた。
みんな 行軍に耐えられなくなって 自決していった。

沖縄県・鉄血勤皇隊
14歳から17歳、900名余りのうち400名以上が命を落とした。
沖縄にアメリカが上陸する 2日前に動員された。
動員されなかった子らはくやしがって直談判して徴兵となって喜んだ。
小銃を貸与されて嬉しかったが アメリカは自動小銃だったので 全く歯が立たなかったことを後で知る。
当初は伝令とか荷物運びが主な仕事だったが だんだん戦局が厳しくなって 壕に兵隊が逃げ込むのだが 先に入っている住民を追い出す作業もやらされた。
初めは勇ましく思っていたけど 追いやられていくうちに 生きられるのか死ぬのかだけを考えるようになった。
どんどん追いつめられ 隊が解散になった。どうしていいかわからなくなった。
投降しようとすると 同じ日本兵が後ろから撃ってくる。
終戦で捕虜になったけど 日本が負けたので銃殺されることがなくなったと思った、
敗戦を知らずに隠れていたところに 負けたと伝えてきてくれた人達がいたけど 敵のスパイかと思って信じなくて殺してしまった。後からこの人たちが本当の事を伝えてくれた事を知ってずっと後悔している。

インパール作戦 京都陸軍師団
2万人のうち1万5千人が亡くなった。多くくは20代の若者だった。
40キロ以上もの荷物なのですぐに立てず四つん這いになってから徐々に立ち上がり 最初は腰を曲げながら歩いた、2000-3000メートル級にの山を登った。
イギリス軍を撃退したら食料が沢山あって驚いた。勝つのでこのままいけば楽勝と思っていたけどそれが敵の策略だった。
戦いでは苦戦となり夜襲しかない。
一か月の予定だったので弾薬も底をつき 石を投げたりしていた。
敵の勢力の違いは明らかだった。
弾薬の補給や援軍を要請した 中将は解任された。
食料もなくなり 略奪をすることになる。
司令部は現地陣を死守せよというだけ。
どうにもならないので 軍の命令は聞かずに逃げることにしたけど けが人は置いていった。見殺しにしたという気持ちで一杯だった。赤十字の車がきたので見ていらたら火炎放射器で焼いていた。
撤退中は マラリア アメーバー赤痢に苦しめられ 雨季の豪雨に足を取られていった。
青竹の炭が効くと噂になって かじって治した。
ダメだと思って自決しようとしたけど 豪雨で手りゅう弾の信管が濡れたのか自決できなかった。途端に怖くなって 仲間を探して 助かった。
戦って死んだのではなく退路で亡くなったのが多いのがつらい。

ガダルカナル島 名古屋部隊
2500人の内300人だけ帰国できた。
撤退を決めたのは 戦って4か月後 そしてその後一か月も戦いが続けられた。
どこへ行くかは知らされなかったけど 戦えば勝てるだろうと楽観的に思っていた。
今回初めて上陸の時に激しい集中砲火に襲われた。
そして先に上陸していた部隊のぼろぼろの姿を見て厳しさを感じた。
前の本にも書かれてあったけど 日本は敵が大したことがないと思いこんでいたのがこの作戦の失敗であった。簡単に島を奪回できると思っていた。
兵士は武器の差も感じたし マイクを仕掛けられてるのもわかっていたが マイクがどんなのかもわからなかった。
殺されたくないから必死でやっつけた。鬼にならなきゃ。。。。
どんどん飢えで死んでいく。埋めたくても力がでない。
死守命令が出ていたので 亡くなった人の遺骨の収集もできなかった。持って帰れないから。
山の中で敵を見つけて撃って焼いて食べたけど 今でも悲しいというか 苦しいというか。。。ずっと誰にも言わないで苦しんでいた。
ある兵士は自分が死んだら 食べてくれと言った。蛆虫などに食べられるより仲間に食べてもらって 最後まで戦って欲しいと。
撤退命令が無線ではなく 人づてだったので 前線まで2週間もかかった。
撤退中も飢えで歩けなくなって 置いていかれる人もいた。
ただ餓死する人が大部分ということは、戦争をやっとるのか、何をやっとるのか・・・さっぱりわからんような状態で・・・・「長期にわたって愚かなことだ」と、本当に思いますね・・・

ベニヤボートの特攻兵器
初めて観た時に びっくりした。こんなものでという感じだった。
このボートでアメリカの船4隻沈んだが 命を失った隊員は2500人にものぼる。
すぐ壊れる船、消耗品、搭乗員も。
自分は死んでも 果たして日本は勝てるのか 疑問を感じていた。
飛行機乗りになるために訓練を受けていたのに最後はベニヤ板とは がっかりな気持ちだった。
脱出方法はあったが現実出来ではなかった。
荒れた海でエンジンが濡れて動かなくなった。
島で穴掘りしていたのでたまにはと海にでて訓練したら 狙われた。
当時周りの状況の情報が皆無だったのが原因のひとつでもあった。
最後には陸上戦となった。
今ね、思えば、震洋を発明した人が、自分の息子が乗るということだったらどうだろうなと。自分の息子が次は特攻隊員だったということになると、果たしてあんなものを発明してやね、日本の国民にやらせるだろうかなかあというような思いはありますね。
この上の作戦者ですね、参謀者っていうんですか、大本営ですか。そういう人は、なぜそんな考えのもとに戦ったかなぁと思って、そういう人を私、恨みますね。根本は、人間を鉄砲玉に使ったということに間違いがあった。

偽装病院船 広島県歩兵連隊
1500人が一度に捕虜になった。
広島の歩兵部隊は精鋭部隊だったので各地を移動した。
しかしシンガポールでは全滅に近い損害を受けた。
中国では抵抗運動をしていた者などを捕まえて殺した。どうにかしてあげたかったけど一兵卒の自分には何もできなかった。助ければ自分が殺される。
ケイ諸島に行った頃は食料が底をつき周りにあるものは何でも食べた。
マラリアや赤痢にも苦しめられた。
撃ってもこちらが一発撃ては連射で撃ちかえされるので撃たない方が良い。
船も飛行機も応援がこないので 手も足もでなかった。
やっと島から出られると来たのが病院船だったので これを使っていいのかと疑問があった。
船に乗ると 偽の名前でのカルテを渡された。船は定員の二倍、武器などは赤十字の箱に入れて しかし 本当の病症者は乗せてもらえなかった。
翌日アメリカの駆逐船が来た。無線傍受していたので 即 捕虜となった。
奥に入れられて このまま船を沈められて死ぬのだと思った。が捕虜収容所へ行かされた。捕虜になったら 日本に帰ったとしても 殺されるので 自殺したかったけど武器がないので自殺もできなかった。
収容所では どうにかして 戦うつもりだった。
が、広島の原爆の写真を見て驚いた。
開放されて帰宅したら 広島には 何もなかった・・・・

囮とされた空母瑞鶴
瑞鶴は多くの海戦に参加し大きな損害を受ける事なかった「幸運な空母」だった。
が終盤 レイテ沖で 囮となる事を命じられた。航空搭乗員は訓練を十分に受けてなかった若者たちだった。
あまりにも大きいので二か月乗っていても迷子になるほどだった。
開戦当時は腕の良い航空搭乗員がいた。
戦局が悪くなってくると 訓練をほとんどしない若い人が配属された。
ラバウルを守るために空母の飛行機などを下ろしてしまった。
アメリカの武器はどんどん進化していっているが それを知らない日本軍。
ラバウルで多くの兵を失う。
新しく導入されたロケット砲もどうみてもちゃちな代物だった。
航空機搭乗員は短い訓練だったので 実際に空母に乗って発艦 着艦で 事故が起きてしまった。発艦さえできれば 使う。
レイテには 可燃物は下ろせ 燃料も半分という事を知らされたので 覚悟していった。
しかし 全然見つけてもらえず、夕方になってやっと見つけてもらった。
130機もの航空機。戦闘開始から10分余りで魚雷が命中。船は動けなくなった。
船が沈んでみんなで一緒にいたけど 近くにきた駆逐艦に助けてもらったけど 上から攻撃を受けてるので 移動したりして 仲間を全員救えなかった。
囮をしたのに戦艦部隊は突入をしていなかった。
今思うと 何のためにやったのか 聞きたい。


読んでいると 日本軍の 自分たちは強いという驕りから
何も対処しないで 突っ込んでいったという 感がする。
どの 章も 読むと 憤りを感じてしまう。






2020年3月26日木曜日

幸福論

アラン 著
神谷幹夫 訳

哲学書ですが わかりやすく書かれていたと思います。
こんな風に 幸福になれたら 良いなぁって思う内容でした。

何か 壁に当たった時とかに 開いて読み直してみるのも
良いでしょうね。
93の テーマで 書かれていたので 一つ一つが短いので
空いた時間にちょこちょこ読めるのが 良かったです。

2020年3月25日水曜日

ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲 (2018) JOHNNY ENGLISH STRIKES AGAIN

出演 ローワン・アトキンソン ベン・ミラー

シリーズもののようですが
これだけ見ても笑えました。

ハイテクの時代 サイバー攻撃を受けた イギリスを助けるために 引退した
スパイが呼び出された。(というのも 現役のスパイ情報も 漏れてしまったので)
そして いざ出動という時 アナログ時代の スパイなので
ナビ付、エコな車ではなく ガソリンを食べまくる 車。 この辺りから 笑えますね~~
ドタバタで 展開していくうちに 
犯人が解ってきましたね~~
うまく解決するとは 思ったけど
そういう風に 上手く つながるとは~~~~

アナログの勝利でしたね。

楽しい映画でした。

2020年3月24日火曜日

春の切手

春の切手シリーズを買っていませんが
頂くと嬉しいですね~~~

自分は
この季節に送らねばならない プレッシャーに追われるのがつらいので
季節の濃い切手は 控えてます。

2020年3月23日月曜日

大家さんと僕  (漫画)

矢部太郎 著

漫画というので 気楽に読めると思って
読みました。

大家さんとの交流は
ひと昔前なら 見かけた景色ですね。

今は 近くにいても 家賃は振り込みとか
お互い プライバシーとか あるので 踏み込まないけど。

洗濯ものなど干して出かけたいけど
天気が気になって 干せずじまいの時があるけど
こんな 大家さんがいたら 安心して 出かけられる~~~

ある程度の距離は必要だけど
こういう関係っていいですね。

昨年まで 高齢の友人と 毎月食事会をしていましたが
大したものを食べていたわけじゃないけど
とても楽しみにしていてくれたし 喜んでいたように見えたけど
この大家さんのように すごく楽しみだったんですね。
今は 友人はホームに入っちゃって そういう事ができなくなりましたが
年をとっても 外に出て色々するのは 楽しいのですよね~~

大家さんといつまでもと 思っていましたが
亡くなってしまったのですね。
残念ですね。
でもこういう素敵な思い出はいつまでも心に残りますね。


2020年3月22日日曜日

春ですね~~~

現在 コロナで色々な情報が 飛び交っていますが、
人と接するといけないので
お散歩なら オッケーだよね~~~と
出歩きました。
うっかりしていたら 
木蓮が満開過ぎちゃっていました。

ソメイヨシノの改良種
ファーストレディです。
まだソメイヨシノが硬い蕾なのに終わりに近いです~~

野の花も 終わりかなぁ~~

これから~~~って いう子も 沢山~~~~

未だ 固い蕾のチューリップだけど 
この調子ならすぐ開いちゃうかな???

八重の椿が やっと咲いてくれました~~
八重は ゴージャスで素敵です~~~

連日 ポカポカ陽気になっちゃって
自転車の調子が悪かったのでメンテに行きました。
呆気なく 終わったので
遠回りしました。

チューリップ 咲いてる〜 って こんだけですが・・・・

三春の滝桜は 早咲きです。
三春から 移植したものらしいです。

滝桜に 刺激を受けたのかな?
この桜は葉っぱが結構あった。
となると 大寒桜か寒桜かなぁ?


雪柳も可愛いですねー

最後になっちゃったけど 
毎年咲いてくれてる ムスカリちゃんたちも 可愛いね~~

お花は ほっこりですね~
ありがとう~~

2020年3月21日土曜日

このゴミは収集できません

マシンガンズ滝沢秀一 著

この著者の方はお笑い芸人さんですが 
ごめんなさい。存じ上げていませんが 
売れるまでは 二足のわらじで大変なのですね。
この本は 気になる内容の事が書いてあって
しかも 本来なら 
生真面目に取り組まなくてはならないテーマである ゴミだけど
楽しく書かれていたので 読み訳かったです。

ゴミ清掃員の一日
濡れた畳の重さを皆にも味わってほしい。と イラストと共に描かれていました。

そう、確かに濡れた畳は思い。
これは 昨年の水害でも多くの人が目にしていると思うけど
本当に重いのです。
でも、ゴミを出す側は 早く処分したいからなのでしょうね。
天候などお構いなしなのですね。

それにしても ゴミを出すルールを気にしない人が 結構いるという事は 
なんとなく知っていましたが
清掃員に文句言ったり 殴ったりする人がいるというのは 驚きでした。

清掃車に向かって 臭いとかいう人がいるそうですが
その臭いものを出してるのは誰かという事。
そして 清掃車が回収してくれないければ 町中ゴミだらけになってしまう事。
そういう事を考えると 清掃員の人は 人の為になる 素晴らしい仕事をしている人だと思います。
いつもありがとうございます。


2020年3月20日金曜日

おっさんずラブ (テレビドラマ)

出演 田中圭 林遣都 吉田鋼太郎

コメディっぽいのを見たかったので こちらを見ちゃいました。
ドラマなので 長いので 耐えられるかと思いましたが
面白いので 見終えました。(シリーズ7回で終わり)

元は 漫画?って 思えるような シーン展開でした。
ボーイズラブが流行っている中
おじさんたちも 頑張ってるよ~っていう感じかしらね?

林さんの 可愛いというか けなげな様子がとても良かったです。
そして 吉田さんの 凛々しくもあり 可愛らしい豹変が 面白かった。

今どきの ドラマって見ていませんでしたが
なかなか 楽しめました。

映画にもなったのかな??
それも きっと面白いでしょうね~~~

2020年3月19日木曜日

山仕事 3月2回目

今回ももちゃんの所に向かう途中で
ラッキーな数字が~~~並びました。 
(生憎 ちょうどの時に止めれず ギリギリでした)
末広がりの 八並びでした

ももちゃんの 歓迎です~~~
近すぎましたね~~ (笑)

ボロボロだけど ルリタテハかな??
冬を越せたのですね~~

今回は下からすぐに上に上がっていって 山の中腹を集中的に行いました。
とは言え あがり口はきれいにしつつ 昇りました。

大体 斜面を登り切ったあたりで 横移動です。
↑が 切る前

                  ↓が 切った後
約30分くらいで こんな感じで 切れます。


仕事を終えて スタート場所に戻ります。

 ももちゃんの家では 椎茸も 作っています。
好きな人なら 喜んで見るのでしょうけど
興味ないので ふーん 育ててるんだー って思っただけです。

むしろ こちらの のらぼうの菜っ葉の方が 嬉しい私でした。
今回も楽しめました~~
ありがとうございます。

2020年3月18日水曜日

大阪中央 特別印 

春のグリーティング 切手の 祈念印です。

こんな可愛い切手がでていたのですね~~
(買いそこないました)

この葉書に貼って送ってくださいました。

勿論宛名の切手にも 猫ちゃんという
完璧のコーディネートでした。

いつもありがとうございます。

2020年3月17日火曜日

兵士たちの戦争 5

NHK「戦争証言」プロジェクト 著

4巻が借りれず 5巻を読みました。
(続きものではないので どこからでも読めます)

ポートモレスビー作戦
ポートモレスビーってどこでしょう?と思って地図を見ると東部ニューギニアです。
この場所という事は 今までのように 赤痢などに苦しめられたの かしら?と思いながら読みました。
この地では18万人以上も亡くなったそうです。
スコールで足を取られ 前進するのが 大変な土地だった。
アバウトな地図を頼りに 木を倒しながら道を作りながら進んだ。
行く手には 敵がいた。
しかし 遺体を回収して埋めるまでは 撃たないでくれた。
敵にも武士道があるのかと思った。
当初この計画は 不可能と思っていた作戦だった。
補給は勿論なかった。兵士たちは 上空から敵の補給があるのをどんな思いで見ていたでしょう。
敵兵を殺した後 何か食べ物でもあるかと 探ったら 家族の写真が出てきて 敵にも自分と同じような立場と 知って 心が痛んだそうです。
最終的に 攻撃命じた 参謀は生き残り 困難と予測していたけど 命令に逆らえず隊長などは 戦死した。
補給がないので 肉薄攻撃しかない。 黄色爆薬15キロ背負って 敵の洗車、大砲に食らいついて爆破。
食べ物がないので人肉に頼るしかなかった。
結局退去となり 負傷者は残したけど しゃべったりしても困るし 立ち去る前に殺した。

朝鮮人皇軍兵士
大陸で 貧しい農家の青年を半ば強制的に徴兵した。
軍の中では 差別があった。嫌な仕事をいつも割り当てられた。
敵の装備にかなわず 戦車への攻撃は爆弾を抱えて体当たり攻撃になった。希望しなくても命令で行かされて 途中で逃げたくても 後ろから銃で狙われていたので どっちにしろ 死しかなかった。
終戦後家に帰れるかと思ったら日本兵とともにシベリアに送られてしまった。
収容所でも日本兵から差別を受けた。
帰国前には 共産党の教育を受けさせられた、
どうにか帰国したら 今度は国で スパイ扱いされて 始終 監視されていた。
中国に戻った人は 満州での文化革命があった時はシベリア帰りというので 赤扱いされてひどい目にあった。

満蒙開拓青少年義勇軍
満州国に王道楽土を作るためにという 表向きの誘い文句で10代半ばの少年たちを 義勇軍として集めた。
学校の先生も 貧しい 次男三男を 説得して 満州に送った。
少年たちは 日本の為に 活躍できる事を誇りに思って出かけていった。
しかし慣れない地域で三か月ものあいだに 赤痢で亡くなる少年もいた。
ソ連兵が攻めてきた時は 関東軍はすでに南に逃げていたので 少年たちはどうしてよいかわからず 慌てて逃げていった。
その時開拓団の人たちとも一緒に逃げた。
しかし、女性や子供の多かった 開拓団と一緒にいたら 遅くなっちゃうので置いていってしまったことに 生き残った人は後悔をしていた。
銃は持っていたけど 上手く扱えず 日本人を憎んていた(土地などを押収していたので)中国人らに狙われたりして 恐怖を感じながら逃げていた。
いつも狙われていると思ったので 見つけては 撃ったりした。
逃げていくと 日本が負けたという事を言われたけど 嘘だと思っていた。
兵隊じゃないので 捕虜収容所ではなく 難民収容所に行ったが食料は少なくマイナス30度の世界で 栄養失調や発疹チフスにかかる人も大勢いた。
戦後送り出した 先生たちは まさかこんなことになるとはと 後悔していた。
難民収容所よりも待遇が良さそうという事で 中国軍に入ったら 帰国後は 共産党とみなされて 仕事も見つからず 刑事に尾行されていた。

陸軍・近衛師団
近衛師団は郷土の誉れだったので 選ばれてとても嬉しかった。
外地で死ぬより 内地で死ぬ方が良いと思った。
終戦直前の宮城事件は全く知らされていなかった。
何が起こるかわからないけど 待機の命令に従っていた。
てっきり宮城に侵入してくる者から天皇を守る事だと思っていた。
が、クーデターだった。

ニューブリテン島 ズンケン支隊
ここは漫画家の水木しげるさんの行ったところなので 漫画で少し知っていたです。
戦局もかなり悪くなっていたので 各部隊も色々な地域の人や 身体の強さ、経験などまちまちの 部隊が多くて 言葉も通じなかったりで 上官は若い人で統率力が今一つな印象だった。
敵の食糧も武器も雲泥の差があった。
最初は遊撃戦を求められていたのが 死守となってしまた。
武器ではかなわないので 斬り込みをという事になった。
しかし 敵に近寄れない。敵がはっきりどこにいるかわからないで 行ったので成果をあげれない人もいた。
援軍が来ない状況で 水源地も取られてしまった。
支隊長が全員玉砕を決めて本部に連絡した。その後 本部からそれを止めようと連絡しようとしたが支隊が追伸気を破壊していて 止めれなっかった。
経験豊かな中隊長が止めた。
結局玉砕する隊と 戦い続けるのと別れた。
玉砕メンバーも 脱落する兵もいた、
中隊長とともに 逃げていったけど マラリアで動けなくなってしまって 自決してしまった。
行き残った兵が 司令部がら お荷物のように思われてしまった。
兵隊は命令に従って 下がったのに 敗残兵は いては困る。
だもんで 残った将校は 自決をさせられた。
新しい上官とともに 戦線へ送られてしまった。
全員死ななくてはいけないと 思っていた。
終戦で死なずに済んだ。

ルソン島 ゲリラ討伐作戦
最初はフィリピンの人たちは親日的だったけど 戦局が悪くなって 日本兵が現地の食べ物とか 買い占めたり、日本兵が 略奪などを 行ったので 対日感情が悪くなり ゲリラが増えてしまった。
アメリカから武器がどんどん入っていったのと ジャングルに詳しいのでどんどんやられていった。
そして ゲリラにおびえる軍は ゲリラに協力する住民を殺せと命令が出る。
殺したくなくても 命令に逆らえば 自分が殺される。
当時は上の命令が絶対だったので 殺した。
この話は誰にも言いたくない。と 口を閉ざす。
最後は背嚢に爆弾を入れて戦車に斬り込みにいったが成功した兵士はごくわずか。ほとんど銃撃された。
山に逃げても 山を燃やされてしまって 隠れられず 玉砕したかったけど 上層部からは 戦い続けろというので 意識朦朧で 戦っていた。
食料がなくなり 戦死した人の肉を食べ 荷物を 奪ったりした。
終戦で捕虜収容所へ行ったが そこで フィリピンの人に この人は自分の身内を殺したって言われたら そこで 有罪となり 絞首刑にされた。
生きて戻ってきた兵士たちには ここで行われた残虐行為が深く心に残っている。

硫黄島
この場所は映画で取り上げられていたので 戦局はわかっていましたので語られている言葉が目に浮かびやすかったです。
島に上陸したら何もない島だった。以前は1000人くらいの人が暮らしていたけど疎開で誰もいない島だった。
水の確保が難しく以前住んでいた人たちの雨水タンクが頼みの綱だったけど 先に上陸した部隊に取られてしまって後から来た部隊は苦労した。
赤痢が蔓延していた。
地下壕を掘ったけど 火山の島だったので大変だった。
戦闘が始まると日本軍の必死の抵抗で アメリカ軍は5日間で占領できると思ったけどできず 7700人もの犠牲を出したので 強力な兵器をどんどん投入していった。
約一か月 食べるものもなくなり 敵地に行って食べ物を盗んだ。そして食べきる。明日生きているかわからないので。
水不足がつらかった。乾パンを食べるのに水が欲しかった。
投降を呼びかけられたが もし投降したら 家族が非国民として言われてしまうので我慢した。
援軍が来ると信じていた。(実際はなかった)
投降したら 捕虜に対する対応が日本と全く異なってびっくりした。日本とアメリカとの教育の違いを感じた。
帰ってきて墓参りをしたが 残っていた家族に「なんであんただけ戻ってきたの」と言われつらくなり 墓参りをすることができなくなった。
2727人の内 2500人以上が犠牲となった。







2020年3月16日月曜日

占 (うら)

木内昇 著

短編集でした。
少し 絡んでいましたが それぞれ 独立しているので
読みやすかったです。

占いというと 
自分の将来を悩んだり 恋愛に悩んだり 
そういう時にアドバイス的に 求めるものですが
この本の内容は 
そういうよくある女性の悩みについて書かれていました。
好きな人の心が 知りたくて 占いを 渡り歩いたり。
悩みというか 愚痴を聞いていて なんとなく答えていたのが
当たっちゃって 千里眼として 人気が出てしまったり。
占いに絡めて 女性の心の弱さとかが 描かれていました。

自分を見つめるところまで行きつければ
占いは 卒業になるのかな?
なんて 思いました。

2020年3月15日日曜日

湿地 (2006) MYRIN/JAR CITY

出演 イングヴァール・E・シーグルソン  ビョルン・フリーヌル・ハラドソン
   オーグスタ・エヴァ・アーレンドスドーティル

タイトルから じめっとした感じでした。
ミステリなので ドキドキはらはら かと思いましたが
ずっと じめっとしていました。

後でよく調べたらこの映画も 先日見た ディープと同じ
アイスランドでした。

遺伝子の絡んだ 殺人事件でしたけど
それ以上に 苦手だったのは
主人公が 羊の頭を食べていたシーンです。
どうやら 国民食のようですが 見慣れていない自分は
え~~~目を最初に食べてる~~~
多分 これは マグロとかの頭を食べてるようなものなのでしょう。
びっくりでした。

段々 展開していくんですが
なにせ 名前が 覚えられない。。。
多分小説とかだったら 数ページ進む度に 表紙裏などに書かれている
登場人物表を見ながら 読んだでしょう。

最後に 最初の殺人事件のシーンが出てきて
犯人が分かるのですが
どうも その時間帯が 今まで 同じ時間帯で 進んでいた
と 思っていた 二人の時間に差があったんですよね。
それが 納得できなくって これが ミステリかと思っちゃって
見終わって ネタばれを 色々読んで納得しました。

途中警察の人達が
証拠に対して 意外とずぼらにやってるのが 気になっちゃって・・・・
数年前の遺体を発掘した時 凄く臭いという 状況の中
素手で 触るのは どうかと思いました。(笑)
変な所が 気になった映画です。

ちょと 暗い映画が 続いたので 
コメディが見たくなりました。

2020年3月14日土曜日

福岡筑前大野 (福岡県)

大野城跡と大文字が描かれている四天山です。

遠くからありがとうございます。

2020年3月13日金曜日

焼津 (静岡県)

大崩海岸から望む富士山と鰹と漁船です。
富士山が入ると 日本っぽくって良いですよね~~
ありがとうございます。

2020年3月12日木曜日

証言記録 兵士たちの戦争 3

NHK「戦争証言」プロジェクト 著

ビルマ
最初はイギリスの植民地からの解放をしてくれるという期待から
日本兵に協力してくれていた。が 戦局が 変わって 
アメリカなどからの武器を使って 日本兵を襲ってきた。
ビルマでは最初は余裕だったけどアメリカとイギリスが手を
組んだので劣勢になる。
せっかく敵を包囲したのに 敵の方が 武器が凄い。
そして 空から どんどん武器や食料が補給されているので 
敵は余裕。
敗退で逃げるものの 襲ってくるビルマの人達や厳しい自然の猛威などで
多くの兵士が亡くなった。

従軍看護婦
負傷した兵士たちを介護する映画を見て多くの女性が従軍看護婦にあこがれていった。
物心ついたころから 戦争が国を豊かにするという 教育を受けていたので 戦争は良い事と思っていた。兵士になれないけど 看護婦になればお国の為に働けると思っていた。
戦争で死ぬことは当たり前で 名誉なことと思っていた。
空襲がひどくなり物資がなくなっていって バナナの葉をおしめカバーにしたりした。
撤去するときは 動けない人は置き去りにした。敵に殺されるより という事で 命令で青酸カリなどで 日本人の手で殺した。
撤去とは言っても もう兵隊が守ってくれないので 必死になってついていった。
自決をみんなでしたが 失敗して 生き残った。生き残った人達は中国共産党に徴用された。

中国雲南
最初は優勢で中国人を追い詰めて行った。橋を爆破されて それ以上は進めず そこまでを2年程 占領した。
しかし、その後アメリカ・イギリスの援助で 武器を揃えて 戦い方も学んでいった為 反撃された日本軍は 大変な事になった。
日本軍は武器などの補充が無く 中国側は 空から どんどん物質が届く。
日本軍は援助でも来なく 赤痢やマラリアにも苦しめられていく。
多くの人がここでも命を落としていった。

フィリピン・シブヤン海 戦艦武蔵の最後
当初武蔵は大和同様沈まない船としてデビュー
しかし 武蔵を作るあたりから 戦争は航空戦がメインになってきていたので この大型の船を作る事に疑問視はあったが まだ 海軍の意見が強く通った為作られた、
これに乗った人たちは 凄いと感心していた。
沈まないように 各回や部屋の扉には気密性の高い扉が設置され 驚く事に 上で閉めた扉は下からは開けれないという作りだったそうです。(これだと 逃げれない人も)
そして 集中砲火を受けつつも 沈みかかっていても 退去命令が出ない。
5~6時間ほど 浮いていたが 沈んでしまった。
船から遠く離れていれば 助かったが 船の沈む勢いに巻き込まれて亡くなった人 そして 命からがら 浮いていた人に しがみつく人。 しがみつかれた人は 余力があれば だが けがもしていて 自分の命も 危なくなって しがみついていた人を 突き放してしまった。それが 生きて残っている現在でも 心に重くのしかかっている。

人間魚雷 回天特別攻撃隊
死ぬとわかっていても これが最後の兵器と聞くと やらねばと思った。
当時はこれで死ぬのは当たり前というような感覚だった。
タンカーを狙った時は 9名亡くなった。
しかし発表ではもっと 沢山撃沈したと 言われて 喜んだ。
訓練は瀬戸内海の穏やかな海だったが 実際は荒れている海だったので大変だった。
出撃命令が出てもすぐにはでれず もどかしい思いで 数時間待機。
そのままでない時もあった。しかし 中はとても暑くて大変だった。
自分が 出発できず 他の人が 出発した時はつらかったが 他にも残ってるのがいた。
5台出発予定が 2台のみ出発した。
日本は40隻の船をやっつけたと発表したが 2隻だけだった。
最後の言葉を聞いていた人は 皆家族へのメッセージではなく お世話になりましたというような 言葉が多かったそうです。
 
東部ニューギニア
三年もの長い間良く戦ったものです。
当初は熱帯雨林の所を飛行場を作るために スコップを使っての作業だったそうです。
そのスコップも大きいものではなく 携帯用のだから小型。しかし この地ではマラリアなどが蔓延していて 戦闘しなくても 多くの人が亡くなった。
戦闘が始まったころには どこも負けているので 補給ができず撤退しても良いと指示がきたけど このまま帰るという事は 国民に合わす顔がないというので 武器などがないまま 戦う事を決める。
現地でも食べ物調達も限界が起き、人肉を食べる事になっていった。
ただ 敵国人のみ許すとしたそうだが。。。
仲間が亡くなったら 他に食べるものがないので結局は食べることになった。
飢えに苦しみ 上層部から 戦えと言われても戦う力がなかった。
終戦後もわからず たてこもり やっと投降して帰国できた。

重爆撃機
特攻の一人乗りだけではなく4人用の大型機も特攻になった。
ベテラン不在だった。
攻撃ハ特攻トスと 一言書かれていた。
初陣が特攻という人が多かった。
小回りの利かない 重爆撃機で 機関銃などの装備なし、実戦経験ない人がほとんどだった。
隊長は特攻は犬死なるからと抗議したけど 聞き入れられなかった。
出陣したけど 敵が見当たらず 戻った機だけが生き残った。
戻るに際しても 自爆が良いとか相談したけど ここで死んだら無駄死だから 戻ってもう一度という意見が多くて戻れた。
荷物を減らす為に べニア板の部分もあったりで とても不格好な飛行機で 飛ぶのもやっとこという飛行機でも出陣した。
敵が見当たらない時に 戻ってもう一度と思った人たちだけが 生き残った。
同時に出陣して 戻らなかった機が 戦果をあげたかどうかは 未確認だそうです。

感想を書くつもりが
内容のメモになってしまった。
多分 どれを読んでも ひどすぎるとしか 感想が言えない。
けれど こういう大事な内容は 読まなくてはいけないと思います。

2020年3月11日水曜日

山仕事 3月1回目

花粉が飛び交う中 杉の沢山生えている ももちゃんの所へ行きました。
 ももちゃんの歓迎を受けたら 
お仕事です。

今回は ちょっと 策を練ったので
それを実行しようと思いました。

ので いつのなら 下から の作業ですが
今回は 上の方を 重点的にします。
前回は 真ん中の茶色い辺りを切りましたので
その続きです。

狙っていた場所あたりで 手ごろなサイズの杉を見つけて
皮をはぎます。
こうして 枯れさせる作戦です。

 しかし 意外と剥くのが 大変でした。

ので 切っちゃう方が楽かも。。。
 とはいえ これは結構背が高かったので 怖かったです。
赤い線の木です。
本当は 横向きに倒さなくてはならないのですが
重すぎて どうにもなりませんので 次かその次くらいに
軽くなってから 動かします。

終わってから やったあたりを撮りましたが
あまりわからないかな??

ももちゃんの所には
秩父紅が 咲いています。
今年も出会えて良かったです~~

蕗の薹は 終わったと思ったので
のらぼうだけ 頂いて帰りました。

いつもありがとうございます。








2020年3月10日火曜日

ある少年の告白 (2018) BOY ERASED

出演 ルーカス・ヘッジズ  ニコール・キッドマン
   ラッセル・クロウ

実話をもとにした 映画でした。
同性愛に目覚めた青年(少年が主人公のような邦題ですが)が 
神父の父と 母に告白する。
両親は 戸惑って 矯正施設へ息子を送る。
そこは 戸塚ヨットスクールのように 体罰があるわけじゃないけど
精神的に追い詰められてしまうような施設。
そこに行ったからこそ 息子は 
同性愛であることを 非としてみるのではなく
自分の個性として 自覚していったのだと思う。
施設を途中で退出した時
父親は 反対したけど 母親は受け入れてくれた。
やっぱ 母親って 息子を 受け入れるんだよね~~~って思った。

両親が見覚えのある人達と思っていたら
大御所でしたね。
にしても ラッセル・クロウさん 役とはいえ 大きくなっちゃって
びっくり。。。

この映画って そんな古くないし スマホ使っていたんで
最近の話だと思うけど
未だに 厳しい クリスチャンには こういう事が理解できないんですね。
とは言え 自分が当事者じゃないから そう見えるのであって
もし わが子がって なると 戸惑うのかもしれませんね。
でも、そうなっても 戸惑うのは当たり前だし
時間をかけても 受け入れていけるようになると いいですね。

そんな事を考えさせられる 映画でした。

2020年3月9日月曜日

小説 エコエコアザラク

岩井志麻子 著
古賀新一 原作

エコエコアザラクは子供の頃 少年誌の漫画で
読んだので 懐かしくて読んでみました。

こんなストーリーがあったかな?
なんて 思いながら読んだけど
現代風にかなりアレンジされている。

漫画を 小説にすると こんなにも
一つのシーンを 表現するのに文字が必要なんだなぁって
思いながら読みました。

読み終わってから
これは 漫画を元に 著者が作ったものだとわかりました。
主人公の ミサさんが 前面に出ていなかったのが
納得です。

漫画を読んだ当時は
結構怖かった(絵も含めて)記憶がありますが
今回は 魔女の怖さよりも
人の方が どろどろしているような感じを受けました。




2020年3月8日日曜日

ゴリラからの警告 「人間社会、ここがおかしい」

山極寿一 著

霊長類学・人類学者の 著者が 
ゴリラの目から見た人間社会について書かれた本でした。

全部がそうかと 思ったけど
途中 大学の先生でもある著者なので
大学の在り方とかについて書かれていました。

人間はおせっかい焼きで
人を手助けするのに どうして
いじめなどがおこるのだろう? 

人の思考をインプットしたAIロボットでは苦手な問題があるけど
今どきの人も 同じような問題が苦手だそうです。
人間が機械に近づいていっているようですね。

今の世の中 情報が多すぎてどれが正しいのかわからなくなっている。
どちらが正しいのか もめたら 止まらない。
けれど ゴリラなどは もめた場合 間を仲裁するものが必ずいて 
大きな争いにはならないそうだ。

人は物語をつくるけど
ゴリラは言葉がないのでそういうのは作らず 善・悪など 区別しない。
芥川龍之介の書いた 「桃太郎」は 鬼から見た ストーリー。
これと同じことが 人間でも起こる。
鬼は いきなり 桃太郎が来て 攻められる。びっくり。
原住民も同じ いきなり 白人が来て 攻める。
反抗すれば 鬼が人を やっつけたとか 言う。(正当防衛なのに)
こういう事は ずっと やってきているんですよね。

この本は こうしたら良いとかっていうのではなく
問題提起の本でしたので
答えは それぞれ考えましょうって いう感じでした。

2020年3月7日土曜日

大阪中央 特別印

天皇陛下御即位記念の 切手発売に伴う 特別印です。
懐かしい ご成婚の切手に仲良しオシドリ(夫婦)切手
そして鳳凰の切手に同じデザインの印。

表の切手も御成婚記念切手でした。

いつも完璧なコーディネートでありがとうございます。

2020年3月6日金曜日

証言記録 兵士たちの戦争 2

NHK「戦争証言」プロジェクト  著

1巻に 引き続き読みました。

フィリピン・マニラでは市街戦だったので 
市民を巻き込んで大変だった。
しかも 最後囲まれてしまったけど 援軍は来れなかった。
そして最後には 肉弾攻撃を命令される。

フィリピン・レイテ島では余裕で勝つと思ったので食料など少なく持参した。
地元の人達の食べ物などを奪ったりしたので 日本兵は嫌われてしまった。
だからゲリラ戦でも地元の人に狙われた。しかも武器はアメリカから渡されていたので
日本兵よりもパワーがあった。

ガダルカナル島では 白兵突撃を命じられていた。
銃剣だけで戦うのです。
最新兵器の相手に 銃剣だけで挑むというのは 
もう結果が見えているけど 上官の命なのでやるしかない。
撤退の時に 遺書を預かってきたけど
軍事機密が書かれてる可能性があるとして
検査官に没収されてしまった。
やっとの思いで帰宅しても
警察にガダルカナルの事をもらしてはいけないときつく言われた。

沖縄では援軍を待ち続けて市民と一緒にがんばったけど
負けてしまった。

ペリリュー島では 岩穴(溶岩でできてる島?)を 小さなシャベルで穴を掘らされた。
そういう 沢山の洞窟の中で 食料が武器の補充がなく
戦いを強いられてきた。
勿論 もうだめだと 自決することも 禁止されていたので
最後の最後まで 戦えという指令だった。

ニューギニア・ビアク島でも
食料は自給できると読んでいて殆ど用意しなかったが
サンゴでできた島なので ほとんどの作物が作れなかった。
飛行場を作ったものの すぐに攻撃された。
見方の飛行機は 数機のみ しかも 応戦というより逃げてるという感じだったらしい。
そういうのを見てると 力の差を感じた。
食料不足が深刻になると 同じ日本兵が食料を求めて 襲ってくることもあったので
移動の際は 数名でも 沢山いるような声を出しながら歩いた。

インパール作戦でも
食料不足だった。牛に荷物を引かせて最後には食べようと計画したが
途中の川で半分くらい流されてしまった。
そして 急いで先に進まねばならないので 自分の荷物とか どんどん捨てていった。
飲まず食わずという感じだった。後からの補給はなかった。
最初は優性の攻撃だったけど だんだん相手は 武器などの補給があって変わらず撃ってくるけどこちらは 補給ないので負けていく。
最後は 銃剣で夜襲という 肉弾戦になってしまった。

どの島もそうだけど
はじめて 到着した時は
皆さん 青い空に 美しい海に 緑ゆたかな木々を見て
天国のようと 思ったそうです。
まさか そこが 地獄のような場所になるとは 思いもしなくて。。。。

まだ 二冊ですが 
どれも 生き残ってこられたのが 奇跡のようです。
皆さん 自分だけ生きてと 負い目を感じていられていますが
生きて帰ってくれなければ
私たちは知ることがなかったのです。
本当に 生きていて良かったです。
つらいのに 話しをしてくれて
ありがとうございます。