斉藤利彦 著
「誉れの子」 初めて聞く言葉でした。
「誉れの子」 とは 戦争において 名誉の戦死をした兵士(靖国に祀られた)の遺児たちの事である。
戦争が長引くほど 戦死者の数が増えて
家の大黒柱を失うので 国としては 扶助するけど、 遺族は 国家に頼らない 覚悟を持つべしと言っていたそうです。
亡くなった時の階級によって遺族に支給される一時金が大きく異なっていました。
陸軍の大将は2300円
大佐は1384円 大尉は706円 一番下の 二等兵は150円でした。
遺児には教育費の支援はあったものの
支給を断った少女の話などを 雑誌などに掲載されていて
実際に教育費の支援を受けた人が少なかったそうです。
誉れの子らは 靖国参拝と共に 内閣総理大臣などの人達の訓話を聞いたりしました。
その内容は 戦争ではいかなる犠牲を払っても戦う そして父の死に悲しんでいるのではなく、父以上に立派な日本人となるように というような内容でした。
靖国参拝を終えた 誉れの子らは
文集などに 立派な日本人になる・陛下の御恩に報いるなどの 勇ましい内容の感想を書いていました。
しかし、数は少ないが 父への思いを書いたものもあったそうです。
誉れの子は国が
遺児の心に尽忠の精神を植え付ける為の目的であった。
国策雑誌でも 誉れの子を取り上げて 国民の規範であると示した。
彼らが生活の中で苦労して頑張る姿(父がいないので 家の手伝いなどをしている姿)が雑誌などに数多く取り上げられていた。
最後に 実際 誉れの子らは当時どう思っていたのかを
アンケートをしている。
当時公会堂での偉い人の訓示など 実際は 意味がわからないとか 記憶にないなどという回答だった。
靖国参拝は 自分の父が祀られているのが不思議 とか 上京が不安だったという感想だった。
国としては 遺児を靖国参拝させて もっと愛国心を強くさせようと思っていたようだが そう簡単にはいっていなかったようです。
他の国でも 子供たちを 洗脳して 優秀な兵士に育てようという 国策があったけど 戦時下は どこも似たような事をするのですね。
こういう 教育を受けた子供らにとって 突然の 敗戦宣言は とても ショックだったでしょうね。
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