三上智恵 著
ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」を
作るにあたって 取材したものをまとめたものです。
映画をみていないのですが
内容は凄いです。
厚さ3センチ以上の本ですので
ボリュームはかなりありました。
沖縄の戦争も末期になると
残ってるのが 子供ばかりなので
10代の子供たちが 招集されました。
彼らは死ぬのが当たり前と思っていたけど
実際に アメリカの進行を抑えようと
橋などを爆破した後に 大きなブルドーザーで
あっという間に 橋を架ける様子や
水陸両用の車を見たり
こちらが一発撃つ間に 連射してくる様子で
負けを感じた。
そして 地元の人たちの頭の良い人達が
アメリカのスパイとして疑われ殺されていった。
少年たちは 夜アメリカ軍のとこに忍び込んで
爆薬などをしかけたりした。
ゲリラのように 軍服を着ないでいたので
当初は子供だし 疑われなかったが 次第に ばれていった。
当時招集されていた時の給金は出ておらず
ぼやいてみても 命あっただけでもという事になった。
少年兵を教育したのは 本土から来た
若い人だったので 大学生が中高校生に訓練をしているようなものだった。
現地の子供達が 兵隊になっていたので
現地の大人たちは いくらアメリカから 何か言われても
人質をとられてるような感じだったので スパイのような事はできなかった。
戦局も悪くなってくると 地元の兵隊ではなく 他所から来た兵隊が
地元の人たちの 家に押し入って 食べ物などを 奪ったり暴行を加えるような事が増えてきた。
地元の人達は そういう人たちにおびえながらも 少ない食料は
地元の子供たちの兵に 分け与えたりしていた。
沖縄以外でも ゲリラ戦の準備はあったようです。
しかし もう武器もなく 戦うすべは 石を投げるとかだったそうです。
上の人たちは 住民は 兵器であって消耗品と考えていたようです。
今回このゲリラ戦の指導したというか
民間人などを手にかけて 人はもう亡くなっていたので
その方について 追跡調査したそうですが
凄く力強そうな人だったけど
本土に戻ったら 優しい人という周りの意見だったとかで。。
もしかしたら 戦後 反省の意味もあって 色々な人にやさしくしたのかもしれませんね。
軍部は沖縄の住民をスパイとして利用して 万が一の事もあるので
常に監視下に置く事となり 利用することが優先されて
命の事などは 関係なかった。
使える時は使って 敵に寝返りそうになったら 躊躇なく殺していいというものだった。
地元の人を利用するゲリラ戦は 恩給など払わずに済むし
食料なども 配る必要がないので 軍にとっては都合が良かった。
戦闘できない島民は疎開させるが 目の届く所にすること。
戦闘させるけど 武器の貸与などはなかった。
肉弾戦でという事だった。
最終的には 住民同士の殺し合いも認めていた軍だった。
軍が来れば 住民は 守ってくれると 信じていたけど
結局は 労働力や食料など 搾取され
あげくに 英語ができたりしたら スパイとして疑われて 殺されたり
多くの沖縄の人の命がなくなってしまった。
沖縄の人々は 逃げたけど アメリカ軍に迫られて
自害していった人が多かったと思っていましたが
実際は こういう悲しい事が多くあったという事を知る事ができました。
本当に戦争とは ひどいものです。
二度とやってはいけないですね。
そして このドキュメンタリー映画 「沖縄スパイ戦史」を
機会があれば 見てみたいと思いました。
消耗戦ってまさにこの事ですね、味方が味方でなくなり後方支援も無い。これじゃ勝つ訳ない(><)
返信削除さっさと降伏するべきだったんですよ・・・
このコメントは投稿者によって削除されました。
削除クロさん いつもコメントありがとうございます。
削除本当にそうですよ。
味方にやられてしまうって しかも 守ってくれると 信じていた兵隊さんに 民間人がですよ~~
信じられませんよね。
そういう事になるって わかっていたのに 幹部たちは 戦争を続けていた。
本当に さっさと降伏してくれれば 沖縄の人たちが どれだけ救われたか。。
ひどいものですよ。