NHK「戦争証言」プロジェクト 著
ビルマ
最初はイギリスの植民地からの解放をしてくれるという期待から
日本兵に協力してくれていた。が 戦局が 変わって
アメリカなどからの武器を使って 日本兵を襲ってきた。
ビルマでは最初は余裕だったけどアメリカとイギリスが手を
組んだので劣勢になる。
せっかく敵を包囲したのに 敵の方が 武器が凄い。
そして 空から どんどん武器や食料が補給されているので
敵は余裕。
敗退で逃げるものの 襲ってくるビルマの人達や厳しい自然の猛威などで
多くの兵士が亡くなった。
従軍看護婦
負傷した兵士たちを介護する映画を見て多くの女性が従軍看護婦にあこがれていった。
物心ついたころから 戦争が国を豊かにするという 教育を受けていたので 戦争は良い事と思っていた。兵士になれないけど 看護婦になればお国の為に働けると思っていた。
戦争で死ぬことは当たり前で 名誉なことと思っていた。
空襲がひどくなり物資がなくなっていって バナナの葉をおしめカバーにしたりした。
撤去するときは 動けない人は置き去りにした。敵に殺されるより という事で 命令で青酸カリなどで 日本人の手で殺した。
撤去とは言っても もう兵隊が守ってくれないので 必死になってついていった。
自決をみんなでしたが 失敗して 生き残った。生き残った人達は中国共産党に徴用された。
中国雲南
最初は優勢で中国人を追い詰めて行った。橋を爆破されて それ以上は進めず そこまでを2年程 占領した。
しかし、その後アメリカ・イギリスの援助で 武器を揃えて 戦い方も学んでいった為 反撃された日本軍は 大変な事になった。
日本軍は武器などの補充が無く 中国側は 空から どんどん物質が届く。
日本軍は援助でも来なく 赤痢やマラリアにも苦しめられていく。
多くの人がここでも命を落としていった。
フィリピン・シブヤン海 戦艦武蔵の最後
当初武蔵は大和同様沈まない船としてデビュー
しかし 武蔵を作るあたりから 戦争は航空戦がメインになってきていたので この大型の船を作る事に疑問視はあったが まだ 海軍の意見が強く通った為作られた、
これに乗った人たちは 凄いと感心していた。
沈まないように 各回や部屋の扉には気密性の高い扉が設置され 驚く事に 上で閉めた扉は下からは開けれないという作りだったそうです。(これだと 逃げれない人も)
そして 集中砲火を受けつつも 沈みかかっていても 退去命令が出ない。
5~6時間ほど 浮いていたが 沈んでしまった。
船から遠く離れていれば 助かったが 船の沈む勢いに巻き込まれて亡くなった人 そして 命からがら 浮いていた人に しがみつく人。 しがみつかれた人は 余力があれば だが けがもしていて 自分の命も 危なくなって しがみついていた人を 突き放してしまった。それが 生きて残っている現在でも 心に重くのしかかっている。
人間魚雷 回天特別攻撃隊
死ぬとわかっていても これが最後の兵器と聞くと やらねばと思った。
当時はこれで死ぬのは当たり前というような感覚だった。
タンカーを狙った時は 9名亡くなった。
しかし発表ではもっと 沢山撃沈したと 言われて 喜んだ。
訓練は瀬戸内海の穏やかな海だったが 実際は荒れている海だったので大変だった。
出撃命令が出てもすぐにはでれず もどかしい思いで 数時間待機。
そのままでない時もあった。しかし 中はとても暑くて大変だった。
自分が 出発できず 他の人が 出発した時はつらかったが 他にも残ってるのがいた。
5台出発予定が 2台のみ出発した。
日本は40隻の船をやっつけたと発表したが 2隻だけだった。
最後の言葉を聞いていた人は 皆家族へのメッセージではなく お世話になりましたというような 言葉が多かったそうです。
東部ニューギニア
三年もの長い間良く戦ったものです。
当初は熱帯雨林の所を飛行場を作るために スコップを使っての作業だったそうです。
そのスコップも大きいものではなく 携帯用のだから小型。しかし この地ではマラリアなどが蔓延していて 戦闘しなくても 多くの人が亡くなった。
戦闘が始まったころには どこも負けているので 補給ができず撤退しても良いと指示がきたけど このまま帰るという事は 国民に合わす顔がないというので 武器などがないまま 戦う事を決める。
現地でも食べ物調達も限界が起き、人肉を食べる事になっていった。
ただ 敵国人のみ許すとしたそうだが。。。
仲間が亡くなったら 他に食べるものがないので結局は食べることになった。
飢えに苦しみ 上層部から 戦えと言われても戦う力がなかった。
終戦後もわからず たてこもり やっと投降して帰国できた。
重爆撃機
特攻の一人乗りだけではなく4人用の大型機も特攻になった。
ベテラン不在だった。
攻撃ハ特攻トスと 一言書かれていた。
初陣が特攻という人が多かった。
小回りの利かない 重爆撃機で 機関銃などの装備なし、実戦経験ない人がほとんどだった。
隊長は特攻は犬死なるからと抗議したけど 聞き入れられなかった。
出陣したけど 敵が見当たらず 戻った機だけが生き残った。
戻るに際しても 自爆が良いとか相談したけど ここで死んだら無駄死だから 戻ってもう一度という意見が多くて戻れた。
荷物を減らす為に べニア板の部分もあったりで とても不格好な飛行機で 飛ぶのもやっとこという飛行機でも出陣した。
敵が見当たらない時に 戻ってもう一度と思った人たちだけが 生き残った。
同時に出陣して 戻らなかった機が 戦果をあげたかどうかは 未確認だそうです。
感想を書くつもりが
内容のメモになってしまった。
多分 どれを読んでも ひどすぎるとしか 感想が言えない。
けれど こういう大事な内容は 読まなくてはいけないと思います。
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