NHK「戦争証言」プロジェクト 著
4巻が借りれず 5巻を読みました。
(続きものではないので どこからでも読めます)
ポートモレスビー作戦
ポートモレスビーってどこでしょう?と思って地図を見ると東部ニューギニアです。
この場所という事は 今までのように 赤痢などに苦しめられたの かしら?と思いながら読みました。
この地では18万人以上も亡くなったそうです。
スコールで足を取られ 前進するのが 大変な土地だった。
アバウトな地図を頼りに 木を倒しながら道を作りながら進んだ。
行く手には 敵がいた。
しかし 遺体を回収して埋めるまでは 撃たないでくれた。
敵にも武士道があるのかと思った。
当初この計画は 不可能と思っていた作戦だった。
補給は勿論なかった。兵士たちは 上空から敵の補給があるのをどんな思いで見ていたでしょう。
敵兵を殺した後 何か食べ物でもあるかと 探ったら 家族の写真が出てきて 敵にも自分と同じような立場と 知って 心が痛んだそうです。
最終的に 攻撃命じた 参謀は生き残り 困難と予測していたけど 命令に逆らえず隊長などは 戦死した。
補給がないので 肉薄攻撃しかない。 黄色爆薬15キロ背負って 敵の洗車、大砲に食らいついて爆破。
食べ物がないので人肉に頼るしかなかった。
結局退去となり 負傷者は残したけど しゃべったりしても困るし 立ち去る前に殺した。
朝鮮人皇軍兵士
大陸で 貧しい農家の青年を半ば強制的に徴兵した。
軍の中では 差別があった。嫌な仕事をいつも割り当てられた。
敵の装備にかなわず 戦車への攻撃は爆弾を抱えて体当たり攻撃になった。希望しなくても命令で行かされて 途中で逃げたくても 後ろから銃で狙われていたので どっちにしろ 死しかなかった。
終戦後家に帰れるかと思ったら日本兵とともにシベリアに送られてしまった。
収容所でも日本兵から差別を受けた。
帰国前には 共産党の教育を受けさせられた、
どうにか帰国したら 今度は国で スパイ扱いされて 始終 監視されていた。
中国に戻った人は 満州での文化革命があった時はシベリア帰りというので 赤扱いされてひどい目にあった。
満蒙開拓青少年義勇軍
満州国に王道楽土を作るためにという 表向きの誘い文句で10代半ばの少年たちを 義勇軍として集めた。
学校の先生も 貧しい 次男三男を 説得して 満州に送った。
少年たちは 日本の為に 活躍できる事を誇りに思って出かけていった。
しかし慣れない地域で三か月ものあいだに 赤痢で亡くなる少年もいた。
ソ連兵が攻めてきた時は 関東軍はすでに南に逃げていたので 少年たちはどうしてよいかわからず 慌てて逃げていった。
その時開拓団の人たちとも一緒に逃げた。
しかし、女性や子供の多かった 開拓団と一緒にいたら 遅くなっちゃうので置いていってしまったことに 生き残った人は後悔をしていた。
銃は持っていたけど 上手く扱えず 日本人を憎んていた(土地などを押収していたので)中国人らに狙われたりして 恐怖を感じながら逃げていた。
いつも狙われていると思ったので 見つけては 撃ったりした。
逃げていくと 日本が負けたという事を言われたけど 嘘だと思っていた。
兵隊じゃないので 捕虜収容所ではなく 難民収容所に行ったが食料は少なくマイナス30度の世界で 栄養失調や発疹チフスにかかる人も大勢いた。
戦後送り出した 先生たちは まさかこんなことになるとはと 後悔していた。
難民収容所よりも待遇が良さそうという事で 中国軍に入ったら 帰国後は 共産党とみなされて 仕事も見つからず 刑事に尾行されていた。
陸軍・近衛師団
近衛師団は郷土の誉れだったので 選ばれてとても嬉しかった。
外地で死ぬより 内地で死ぬ方が良いと思った。
終戦直前の宮城事件は全く知らされていなかった。
何が起こるかわからないけど 待機の命令に従っていた。
てっきり宮城に侵入してくる者から天皇を守る事だと思っていた。
が、クーデターだった。
ニューブリテン島 ズンケン支隊
ここは漫画家の水木しげるさんの行ったところなので 漫画で少し知っていたです。
戦局もかなり悪くなっていたので 各部隊も色々な地域の人や 身体の強さ、経験などまちまちの 部隊が多くて 言葉も通じなかったりで 上官は若い人で統率力が今一つな印象だった。
敵の食糧も武器も雲泥の差があった。
最初は遊撃戦を求められていたのが 死守となってしまた。
武器ではかなわないので 斬り込みをという事になった。
しかし 敵に近寄れない。敵がはっきりどこにいるかわからないで 行ったので成果をあげれない人もいた。
援軍が来ない状況で 水源地も取られてしまった。
支隊長が全員玉砕を決めて本部に連絡した。その後 本部からそれを止めようと連絡しようとしたが支隊が追伸気を破壊していて 止めれなっかった。
経験豊かな中隊長が止めた。
結局玉砕する隊と 戦い続けるのと別れた。
玉砕メンバーも 脱落する兵もいた、
中隊長とともに 逃げていったけど マラリアで動けなくなってしまって 自決してしまった。
行き残った兵が 司令部がら お荷物のように思われてしまった。
兵隊は命令に従って 下がったのに 敗残兵は いては困る。
だもんで 残った将校は 自決をさせられた。
新しい上官とともに 戦線へ送られてしまった。
全員死ななくてはいけないと 思っていた。
終戦で死なずに済んだ。
ルソン島 ゲリラ討伐作戦
最初はフィリピンの人たちは親日的だったけど 戦局が悪くなって 日本兵が現地の食べ物とか 買い占めたり、日本兵が 略奪などを 行ったので 対日感情が悪くなり ゲリラが増えてしまった。
アメリカから武器がどんどん入っていったのと ジャングルに詳しいのでどんどんやられていった。
そして ゲリラにおびえる軍は ゲリラに協力する住民を殺せと命令が出る。
殺したくなくても 命令に逆らえば 自分が殺される。
当時は上の命令が絶対だったので 殺した。
この話は誰にも言いたくない。と 口を閉ざす。
最後は背嚢に爆弾を入れて戦車に斬り込みにいったが成功した兵士はごくわずか。ほとんど銃撃された。
山に逃げても 山を燃やされてしまって 隠れられず 玉砕したかったけど 上層部からは 戦い続けろというので 意識朦朧で 戦っていた。
食料がなくなり 戦死した人の肉を食べ 荷物を 奪ったりした。
終戦で捕虜収容所へ行ったが そこで フィリピンの人に この人は自分の身内を殺したって言われたら そこで 有罪となり 絞首刑にされた。
生きて戻ってきた兵士たちには ここで行われた残虐行為が深く心に残っている。
硫黄島
この場所は映画で取り上げられていたので 戦局はわかっていましたので語られている言葉が目に浮かびやすかったです。
島に上陸したら何もない島だった。以前は1000人くらいの人が暮らしていたけど疎開で誰もいない島だった。
水の確保が難しく以前住んでいた人たちの雨水タンクが頼みの綱だったけど 先に上陸した部隊に取られてしまって後から来た部隊は苦労した。
赤痢が蔓延していた。
地下壕を掘ったけど 火山の島だったので大変だった。
戦闘が始まると日本軍の必死の抵抗で アメリカ軍は5日間で占領できると思ったけどできず 7700人もの犠牲を出したので 強力な兵器をどんどん投入していった。
約一か月 食べるものもなくなり 敵地に行って食べ物を盗んだ。そして食べきる。明日生きているかわからないので。
水不足がつらかった。乾パンを食べるのに水が欲しかった。
投降を呼びかけられたが もし投降したら 家族が非国民として言われてしまうので我慢した。
援軍が来ると信じていた。(実際はなかった)
投降したら 捕虜に対する対応が日本と全く異なってびっくりした。日本とアメリカとの教育の違いを感じた。
帰ってきて墓参りをしたが 残っていた家族に「なんであんただけ戻ってきたの」と言われつらくなり 墓参りをすることができなくなった。
2727人の内 2500人以上が犠牲となった。
本当に嫌な時代ですね、それで一枚岩で戦うかといえば、結局足の引っ張り合い。
返信削除これじゃ勝てるわけがない戦争です。
クロさん いつもコメントありがとうございます。
削除そうなんですよね~~
この時代 嫌々ながらも 天皇陛下の為に~~って 一致団結しているかと思いきや 陸。海軍 どちらの勢力が~~みたいな 感じだったし 情報も 収集できていないのに 勝てる! って 根拠のない 確信で 戦場に行かされた兵士たちは たまったもんじゃないですよね。
わずかながらも こうして生き残ってくださった方々が 辛いけれど 語ってくださる事に感謝しつつ。
絶対にやってはいけないと 思いますね。