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2020年3月6日金曜日

証言記録 兵士たちの戦争 2

NHK「戦争証言」プロジェクト  著

1巻に 引き続き読みました。

フィリピン・マニラでは市街戦だったので 
市民を巻き込んで大変だった。
しかも 最後囲まれてしまったけど 援軍は来れなかった。
そして最後には 肉弾攻撃を命令される。

フィリピン・レイテ島では余裕で勝つと思ったので食料など少なく持参した。
地元の人達の食べ物などを奪ったりしたので 日本兵は嫌われてしまった。
だからゲリラ戦でも地元の人に狙われた。しかも武器はアメリカから渡されていたので
日本兵よりもパワーがあった。

ガダルカナル島では 白兵突撃を命じられていた。
銃剣だけで戦うのです。
最新兵器の相手に 銃剣だけで挑むというのは 
もう結果が見えているけど 上官の命なのでやるしかない。
撤退の時に 遺書を預かってきたけど
軍事機密が書かれてる可能性があるとして
検査官に没収されてしまった。
やっとの思いで帰宅しても
警察にガダルカナルの事をもらしてはいけないときつく言われた。

沖縄では援軍を待ち続けて市民と一緒にがんばったけど
負けてしまった。

ペリリュー島では 岩穴(溶岩でできてる島?)を 小さなシャベルで穴を掘らされた。
そういう 沢山の洞窟の中で 食料が武器の補充がなく
戦いを強いられてきた。
勿論 もうだめだと 自決することも 禁止されていたので
最後の最後まで 戦えという指令だった。

ニューギニア・ビアク島でも
食料は自給できると読んでいて殆ど用意しなかったが
サンゴでできた島なので ほとんどの作物が作れなかった。
飛行場を作ったものの すぐに攻撃された。
見方の飛行機は 数機のみ しかも 応戦というより逃げてるという感じだったらしい。
そういうのを見てると 力の差を感じた。
食料不足が深刻になると 同じ日本兵が食料を求めて 襲ってくることもあったので
移動の際は 数名でも 沢山いるような声を出しながら歩いた。

インパール作戦でも
食料不足だった。牛に荷物を引かせて最後には食べようと計画したが
途中の川で半分くらい流されてしまった。
そして 急いで先に進まねばならないので 自分の荷物とか どんどん捨てていった。
飲まず食わずという感じだった。後からの補給はなかった。
最初は優性の攻撃だったけど だんだん相手は 武器などの補給があって変わらず撃ってくるけどこちらは 補給ないので負けていく。
最後は 銃剣で夜襲という 肉弾戦になってしまった。

どの島もそうだけど
はじめて 到着した時は
皆さん 青い空に 美しい海に 緑ゆたかな木々を見て
天国のようと 思ったそうです。
まさか そこが 地獄のような場所になるとは 思いもしなくて。。。。

まだ 二冊ですが 
どれも 生き残ってこられたのが 奇跡のようです。
皆さん 自分だけ生きてと 負い目を感じていられていますが
生きて帰ってくれなければ
私たちは知ることがなかったのです。
本当に 生きていて良かったです。
つらいのに 話しをしてくれて
ありがとうございます。




2 件のコメント:

  1. 精神論で勝てると本気で思っている上官、いや上官だって勝てると思ってはいないで
    しょうね、そうすると自滅して抗議? 本当に不可解な行動ですね。

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    1. クロさん いつもコメントありがとうございます。
      そうなんですよね~~
      この当時は 精神論が強かったですよね~~~ 
      表には出さなくても だめだな、、、って思っていたかもしれないけど ほとんどの上官は 勝てるの 一点張りだったですね。
      抗議しても 受け入れられず 特攻で出て 目標の敵がいなきゃ 戻ってもう一度アタックするのが 常識だと思うけど 何もしないで 戻ると それはそれで 上官から 怒られるって いう事で 自滅しちゃっていたのかもしれないそうです。 それこそ 飛行機や 人を ムダに。。。って 思うけど それだけ この時代は 戦果をあげれないのが 罪のように 思われていたんですよね。 戦争って 嫌ですね。

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